合同会社設立からの徒然を書いています


by ssknblg
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京都のJAZZ喫茶

先日のブログで、JAZZを聞き始めたのが、60年代半ばと書きました。
その頃、JAZZ喫茶が全盛でした。

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私が初めて行ったJAZZ喫茶は、「BigBeat」でした。
同志社の近く、今出川新町を下がった市場の2階に在りました。
12月の寒い日で、中に入るとがストーブが燃えていて、クリスマスツリーが輝いていて、暖かくとても居心地が良かったのを覚えています。

コーナーにはTANNOYのスピーカーが置かれていました。
その後、スピーカーはJBLパラゴンに変わります。
アンプはマランツとマッキントッシュの2系統で鳴っていました。
丁度アンプを切り替える時に居合わせた事があるのですが、
マランツで鳴っていたのが、switchで瞬時にマッキントッシュに、切り替わったのですが、突然、楽器がくっきりと浮かび上がったのに驚きました。
その印象は今でも残っています。
今でもマランツはJAZZに向かないと思っています。

他にも京都にはJAZZ喫茶がいっぱいありました。
長くなりますが、思い出すままに書いてみます。

同志社の近くには、「SM SPOT」と言うマイナーな小さい店が在りました。
真っ暗な店内に、サングラスかけたマスターと言う店でした。
アルバート・アイラーやマリオン・ブラウンを、リクエストして架けて貰ったのを思い出します。

もう一つ同志社の近くに、「52番街」と言う店も在りました。
週末にはライブ゙が有り、当時ライトミュージックコンテストで優勝した
同志社軽音楽部のメンバーが主に演奏していました。
後にプロに転向した向井滋春さんがメンバーでした。

同志社から南に下がると、荒神口に「シャンクレール」が在りました。
JAZZ喫茶の老舗でした。

さらに河原町を三条まで下がると「BIG BOY」が在り、
JBLオリンパスでソニー・クリスの「I'll Catch the Sun 」を、
心地よく聞いたのをお覚えています。

河原町沿いには、「蝶類図鑑」・「blue note」も在りました。

四条通りに行くと、大丸の向かいに「The Man Hall」が在りました。
ここもJBLオリンパスで、当時廃盤だったウォルト・ディッカーソン の
「To My Queen」を架けて貰った覚えが有ります。
昨年、このアルバムがCDになって発売されているのに気付き、
早速買って40年振りに聞きました。

もう一筋下がると「シロハウス」が在りました。
夏の暑い日、開店の準備不足?かエアコンの故障だったか忘れましたが、
暑さ凌ぎに大きな氷柱を置いていたのを思い出します。

最後に、今でもJAZZ喫茶を続けてられる「YAMATOYA」さん。
当時の巨大なALTECが懐かしいです。
昨年20年振りに伺いました。
今はクリプシュホーンで上質なJAZZと美味しいコーヒーが楽しめます。

上の写真のマッチは 「YAMATOYA」さんが開店の時に配られた、
記念の徳用マッチです。
Commented by 藤原あきら at 2016-05-24 18:06 x
「ビッグボーイ」
懐かしい響きに、思わずページを拝見いたしました。
と、申しますのも、実はワタシ、かの「ビッグボーイ」で高校時代にアルバイトをしておりました。
当時は「ムカイ・シゲハル」が、まだ同志社大学の軽音楽部の貧乏学生だった頃で、カウンターの隅っこに申し訳なさそうにチョコンと座って、コーヒーすら注文できなかったのを記憶しております。
そんな彼も、トロンボーン奏者として世界にその名を轟かせております。
 余談になりますが、かの「ビッグボーイ」のオーナーは、奈良の材木商の若旦那で、ジャズなどまったく知らずに、世の流れでジャズ喫茶をOPENさせた経緯があり、レコード棚の中には「都はるみ」や「シカゴ」なども入っていたのを覚えております。
 また、金にモノを言わせて、マル・ウォルドロンの京都公演が終わったあと、氏を店に呼んでピアノ演奏をさせたり、山下洋輔を呼んだりと、やりたい放題を繰り返していたのですが、そんなコトが評判となって、ますます客足が増えたのです。
しかし、世の流れでジャズが斜陽となったのを期に、閉店してしまったと、後に聞きました。
 そんなビッグボーイをを懐かしく思う現在63才のワタシです。
by ssknblg | 2010-03-27 23:56 | JAZZ | Comments(1)